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旅立ち


 ずいぶんと長いこと御無沙汰をしてしまいました。
 最後のブログを書いてから、なんと! 一年半も経ってしまいました。
 わたくしの人生にこのようなことが用意されているとは...と思うほど、
 次々と悲しいことがおこった一年。
 先日、やっと吹っ切れることがあり、こうして前向きにお仕事に向かい始めました。

 あのイタリア旅行の数か月前、実は母は軽い脳こうそくで足元が心もとなくなり、
 リハビリを始めていました。
 
 母は、一族皆から『ママ』と呼ばれ、みんなの太陽でした。
 わたくしは一人っ子ですが、母には妹と弟がいて、妹の叔父叔母を
 お母さん、お父さんと呼び、わたくしの父母をパパ・ママと呼ぶのが習慣でした。
 「お母さん」が早くに亡くなり、以後、3人娘といわれた従姉とわたくしたちは、
 ママを中心に世界が回っていました。
 わたくし達家族は、また元気になると、なぜか皆そう信じていました。
 それが、あの秋から、気候が寒くなるにつれ、どんどん具合が悪くなり、
 年が明けて半月も経たない頃、とうとう
 『延命治療をするか、自然のままに亡くなることを選ぶのか』と、
 選択を迫られたのです。

 自分の母親の命の長さをきめなければいけない・・・
 わたくし初め、家族も一族も、言葉がありませんでした。

 その頃、母は食べものを飲み込めなくなっているだけで、
 ちゃんと話もし笑い、手も動かす事もできました。
 なのに、なぜ?
 ちゃんと栄養をつければ元気になり、お食事をさせれば
 車いすになっても元に戻れるのではないの? 
 先生は首を横に振ります。

 年老いた父に、この決断を迫るのは酷でした。
 両親は大恋愛の末、結婚し、パーティで仲良くワルツを踊る二人は、
 みんなの憧れでした。
 母が具合が悪いことだけで、自分も神経を病んで帯状疱疹になってしまった父に、
 事態を話すことすらためらわれました。
 夫も息子たちも、叔父もいとこたちも、みんなで相談しました。
 お医者様の見立てちがいじゃないかという話まで出ました。
 そんな時、母がふと病室のベットから、
 「おなかに穴なんか開けないでね。自然でいいのよ」と言いました。
 
 私達は、母が自分の体力がつきるまで・・自然のままに・・という結論を出しました。

 それから2ヶ月半。
 それは、母の死を待つ2ヵ月半でした。
 
 実家の庭にはたくさんの花と木があり、母が丹精していました。
 小さな真っ赤で甘いサクランボのなる桜の木はもう40年以上の大木。
 これは3月半ばには満開になります。
 せめてこの桜を見せてあげたい・・・
 そんな時、息子がGoogleのストリートビューに実家の満開の桜が
 映っていることに気づきました。
 母に見せるとうれしそうに、今年はいつ咲くかしらねと・・・
 母は、みんなの思いが通じたのか、実家の早咲きの桜で病室を満開にし、
 さらに、鎌倉八幡宮のだんかづらの桜を、特別に病院の窓までベットを寄せて、
 上からお花見をして・・・
 そして旅立ちました。

 みんなに一人ひとり、「ありがとう」と言い・・・
 最後の1カ月、私と一緒に歌いたいと言い毎日歌っていた同様のCDを聴きながら。
 どんどん血圧が下がり、こと切れた時は、ちょうど『ゆりかごの唄』でした。
 母は、苦しむことなく、本当にすやすや気持ちよさそうに眠っているような、
 ほほえみをうかべて、旅立ちました。

 親の死を選ぶという決断は、今の時代、多くの人が迫られる場面かもしれません。
 選んだ遺族には、本当にこれでよかったのか...という思いがいつまでも残るものです。
 そこから立ち直るには、大変な時間と気力がいるものです。

 私も、誰からもこれが一番よかったのよと言われても、心からそうとは思えず、
 何か自分の母を死に追いやったような思いがどこかに残っていました。
 しかし、先日、ある方のお話で、こういう場合「本人が幸せかどうか」
 それを一番考えるべきことと。
 一日でも長く生きてほしいのは山々ですが、その周囲の気持ちではなく、
 本人がどう生きることが幸せか、考えてあげるればいいのだと。
 母は、お寺の御前様がこのような安らかなお顔はなかなかいないというほど、
 気持ちよさそうな寝顔だったのです。
 私も、いつまでも後ろ向きにならず、幸せな人生で、幸せにいけたのだと、
 何とか納得し、前に一歩を踏み出そうと思います。

 母の四十九日を前に、父は大動脈解離を起こし2ヵ月半ベットから
 おきあげることもできず、退院したと思ったら骨折・・・
 気丈にしているけれど響いているのでしょう。
 しかもその間に小学校時代からの親友が亡くなり、
 そんなこんなで、何が起こるか分からない毎日で、私はノックダウン状態でした。
 でも家族の支えや友人の支え、生徒からの励ましの言葉・・・
 今年の桜は一人で見るのはつらいだろうと、友人が押し寄せてくれました。
 本当にありがたく、それが元気の源となりました。
  
 母は、微笑んで旅立ちました。
 またの世界で、楽しく花やきれいなものに囲まれて笑顔で過ごしていることでしょう。
 私も、やっと一人立ち・・
 元気に一歩を踏み出し、また,新たなる旅立ちをしようと思います!

 

 
 

 
 


 
 


コメント

読ませていただきました、黙祷します。

ボクも同じような決断を先月致しました。
今は、妹二人が時間の限り病院に行ってくれています。

新しい一歩、期待しています、お元気で!

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