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ローマ紀行≪ジェズ教会≫

9月はじめに、所用でローマ・パリに1週間ほど行ってきました。
あちらでいろいろな方と会ったりしたのですが、ローマで1日、パリで半日、飛行機の都合でプライベートな時間が取れました。
ローマでは以前から行きたかった≪ジェズ教会≫≪サン・ジョルジュ・マッジョーレ≫≪バルベニーニ美術館≫と梯子!
今回は、この≪ジェス教会≫について書きましょう。

この≪ジェズ教会≫は、カトリック系の宗派の中で最も力を持つ修道会のひとつ『イエズス会』の総本山。
イエズス会は反宗教改革の先鋒を切り、世界にカトリックを広めた修道会で、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは当初から参加している重要な宣教師です。

開祖は、イグナチウス・デ・ロヨラ。もともとスペインバスク地方の貴族出身の軍人。
その頃の肖像画が教会の隣の修道院の廊下にありましたが、それはまるで『黒帯のジョバンニ』のような戦士でした。それが、彼の居室近くの肖像画になると、本当に信仰に生き、神に身をささげた修道士の姿になっていました。
ロヨラは、怪我の闘病中に信仰に目覚め、パリ大学で神学・哲学を学び、モンマルトル聖堂で、6名の同志とともに『清貧・貞潔・聖地巡礼』の誓いを立てて『イエズス会』を創立します。
時は宗教戦争の真っただ中。
彼らの真摯な信仰と布教活動は、堕落したカトリックのイメージを払拭するのに、大変役立ったのでしょう。
1540年、教皇パウルス3世に公認され、ローマに拠点を持ち、厳しい戒律と位階制度で堅固な組織を作り、『キリストの戦士』として、世界各地への布教と、当時のプロテスタントに対抗するカトリックの一大勢力となります。
いわゆる「泣く子も黙るイエズス会!」といった感じでしょうか。
それまでの修道院と言えば、人里離れた修道院にこもってひたすら祈りと勉学の日々。
イエズス会は、そうした修道院とはまったく違う軍隊組織で、修道院の外へ出て不況を目的として、世界に散らばって行きました。
これは、当時、南米やアジアに支配地を広げんとしていたポルトガルやスペインの思惑と合致して、イエズス会はそれらの国の船に乗って、キリスト教の布教と同時に、未開の地の西洋文化化という任務の先鋒を担がされます。
南米やアジアでの植民地化とキリスト教化の成功は、ローマのイエズス会本部に、ローマ法王庁はじめ各王室からの奉納・支援と、現地からの巨万の収益をもたらし、今見るような、バロック様式の素晴らしい教会堂が立つことになったわけです。
1582年のことです。
これは当時のカトリック教会の悲願! 対プロテスタント。反宗教運動の象徴としての教会堂でした。ですから、力の入れようは大変なもの。
下世話に言うと、バロック美術は、その荘厳さと宗教画の臨場感で洗脳して、逃げてしまった信者をもう一度取り戻す手立てでした。
この教会堂は、完璧なバロック・・・その目的を十分果たしたことでしょう。
外見のファサードとは打って変わって、内部のゴージャスさは、驚き!!! 
ヴァチカン・サンピエトロ聖堂と比べてもひけはとりません。
天井は、そのまま天に吸い込まれるかと思うようで、取り巻く彫刻も素晴らしい臨場感。
バロック天井の傑作はローマではファルネージでしょうが、ここは今はフランス大使館で一般人は見ることができませんから、この教会堂が一番たやすくみられる傑作でしょう。
金はもとより、ラピスラズリーやルビー多くの貴石がふんだんに使われ、ローマで一番豪華といわれるロヨラのささげられた祭壇も素晴らしいものです。
ここを訪れる日本人は数少ないと思いますが、ここには、日本人とキリスト教を初めて結びつけたあの『ザビエルの右手のミイラ』もあるのです。
あの右手は一体何をしたのでしょうね。
ローマの教会見物なら、是非お勧めの教会堂です。

しかし、こんなに栄華を極めたイエズス会。
やがて、宗教戦争も落ち着き、東洋の富も土地も手にした各王室・教皇庁は、だんだんと、厳格な信仰に生き、未だ異端とたたかい布教し続ける彼らを、疎ましく思い始めます。
スペインをはじめ各国でイエズス会は迫害を受け、異端とまでされ、解散にまで追い込まれるのです。
さんざん利用しておきながら・・・。

そんな歴史を思いながら、改めてこの教会堂を見渡すと、宗教とは何かということを考えさせられます。
『信仰』と『宗教』は、違うものだと思うのです。

この豪華な≪ジェズ教会≫の隣に、大変質素な建物があります。
ここがロヨラらが、ローマに帰ってきたときにすごす場所があったのです。今でも当時のままに残っていて、お願いすると中に入れていただけます。
あの肖像画を見ながら進むと、ロヨラが祈りをささげていた3畳ほどの小さな部屋があります。
質素に描かれたA4程の大きさの聖母子像の絵・・・これに日々の祈りをささげていたのだとか。
そばには、ロヨラが常に着ていたというぼろぼろの修道士の服とこれもボロボロになった革靴が展示されています。
隣の教会堂の豪華さとは対照的に。
これが『信仰』と『宗教』の違いなのでしょう。

いろいろなことを思いながら、しばし、バロックの天井を見上げて、歩き疲れた足を休ませた(!)ひと時でした!

次回は、サン・ジョルジュ・マッジョーレ教会で、にわか信者になってしまった!・・・というお話を書きたいと思います!乞うご期待!


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