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2006年11月30日

頑張って!

ロザリウムのお授業がきっかけで、先ごろ、一冊の本ができました。

元々私はフランス文学が専門です。
日本の大学ではなかなか学ぶ機会が少ないフランス文学の中に、
『ラ・ファンテーヌ』という詩人がルイ14世時代に王太子のために書いた
人生訓とも言うべき“詩”があります。
日本では単なる子供向け【童話】のように受け取られていますが、
これを、ぜひフランス人的ものの考え方で皆様にお教えしたいと思い、
昨年、フランス文学出身の詩人である安部薫先生にお願いいたしました。
そして、この秋、先生が自費出版で、【ラ・フォンテーヌ寓話】というご本を出版されたのです。

私の周りには、素晴しい人生の師がたくさんいらっしゃって、
いつも私は助けていただいていますが、阿部先生もその一人。
さすが、フランス文学出身者らしく、美しく的確な言葉で、人に心を伝えられる方です。

その阿部先生が、今回のご本を送ってくださるとき、私や生徒に向けて送ってくださった
言葉・・・それが『BON COURAGE』
“ボン・クラージュ”と読みます。
直訳すれば<良い・勇気>
「頑張って!」というときに使う言葉です。

近頃躁うつ病や自殺など、人の精神がめげてしまう心の病が問題になっています。
そんな人には、「頑張って」といってはいけないと精神科医の先生はおっしゃいます。
確かに、日本語の「頑張って」という言葉は、
肩に力をいれて踏ん張って何かに立ち向かう・・・そんなイメージが沸いてきます。
つらい時、休みたい時にそんなことを言われたら、益々大変な重荷に感じてしまうでしょう。

しかし、フランス語で、そうしたときに掛けるこの『BON COURAGE』には、
そんな意味合いはありません。
『勇気を出して!』ということなのですから。
めげて下を向いてしまった視線・・・でも、勇気を出して上を見て御覧なさい!
今までと違う景色が目に入ってくるでしょう!
今まで出なかったその一歩を、勇気をもって出して御覧なさい!
“勇気”は、人生を乗り切る上で大切なキイワードです。

つらい時に人が掛けてくれる言葉の重みは、その人の一生を左右することもあります。
もし、今、あなたの隣につらい時をしのんでいる人がいたら・・・
「頑張って」ではなくて、「勇気を出して!」と声を掛けてあげませんか。
実は、ラ・フォンテーヌには、こうした人生を乗り越えてゆく知恵がたくさん詰まっているのです。
小さいときからこうした古典のよいものを、空で覚えるほどに家庭でも学校でも親しませて
人を育てている社会と、子供がファミコン・TVと大人社会の経済活動の餌食となっている社会。
おのずと、結果が見えてきます。

「人生うまくいかないから知恵が出る」
これは阿部先生のモットーであり、ラ・フォンテーヌの言わんとするところです。
古典:クラシックとは、古臭いもの辛気臭いものでなくて、
時代を超え文化を超えて素晴しいからこそ生き残ったものを言います。
阿部先生からのメッセージが素晴しかったので、皆様にもお送りしましょう。

「人生うまくいかないから知恵が出る」
勇気を出して、めげずに苦難を乗り切る・・。
それが人生の妙味というもの。
ひるんではダメ!
勇気を出せば必ず活路が開けます。
    BON COURAGE !


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2006年11月13日

『和敬清寂』その3

≪ヤマトグランドツアー≫が入り、ずいぶんと間が開いてしまいました。
グランドツアーは、大変充実して楽しい時間でした。
あの時代の私達の祖先は、なんと国際的なものの考え方ができている人たちだったのだろうかと、
感心し、感動しました。
あの時代から、今の私達が学ぶことは山のようにありそうです。
しかも、想像以上に色鮮やかな美しい時代だったことにも、おどきました。
現代の私達の美意識なんて、足元にも及ばない、ダイナミックな美学が存在していたのです。
・・・と、やまと文化のすごさは、又にして、やっと、
『和敬清寂』のお話の最後、【寂】についてです。

【寂】

この文字は、仏教で言うところの涅槃の境地というか、
この前も後もない“無”の境地を意味します。
音もなく、風のそよぎすらない、ひたすらの静けさ・・・
これが【寂】の文字の表す世界です。
決して寂しい(さみしい)わけではありません!

人との付き合い、おもてなしの中では、常にこの心境がです。
何があってもあわてない、微動だにしない!
常に、静かな心、静かな立ち居振る舞い・・・
これこそ、円滑で心が通じ合う人付き合いの極意であると、
利休は言いたいのです。
茶道の所作では、速過ぎて忙しないものはもちろんダメですが、
遅すぎるのもためらいがちに見えてよくない“手”といわれます。
宇宙のリズムにあわせ、逆らうことのないリズム・・・これが、美しい所作となる、
そう、躾けられたものです。
西洋のノーブルの間では、子供をしつけるとき、同じようなことを言います。
「レディは走ってはいけません。」と。
育ちがいい人は、何事もゆっくりしているものです。
つまり、レディと尊称のつくような身分の者は、どたばたしてはいけない、
慌てふためいた姿を人に見せてはいけない・・・ということです。
慌てふためくということは、“心構えや備えが無かった”“知らなかった”ということで、
本人の無教養さを露呈していることにほかなりません。
無教養であることは、ノーブルな人々の間で、一番嫌われることです。

皆様は、小学生の頃良く「廊下を走ってはいけません」と言われませんでしたか?
なぜ走ってはいけないのでしょうか?
白百合の授業の際に、この質問をすると、
いままで、そんな理由を考えたこともない子供達が、頭をひねって、
「決まりだから」「ぶつかると危ないから」「うるさいから」・・・と、答えます。
「誰もいなければ走ってもいいんじゃない?」「休み時間なら、うるさくしても大丈夫でしょ?」
「どうしてそんな決まりがあるの?」・・・と聞くと、答えが詰まってしまいます。
近頃は、代々この答えはこう・・・と、先輩諸氏からの伝達があるらしく、
『レディは走ってはいけないからー!』と、口を揃えて答えます。
かわいいですね。

全ての理由は【寂】だからです。
人と接する時の極意として、私たちが見落としがちなのが、この【寂】。
例えば、お客様がコーヒーカップを取り落としたとしましょう。
周囲の方々は、ワットばかりに立ち上がり、ハンカチやら手短なナプキンやらで
あわてて拭きにかかり、ご主人はタオルや雑巾をとりに走るでしょう。
よそのおうちの食卓では、基本的には、ハンカチを出すことは失礼に当たります。
しかも、当の本人は、すみませんと周囲にあやまりつづけ、事が収まっても、
それ以前の和やかな雰囲気も損なわれ、楽しい会話がナンだったか?
なんて状態になってしまうのが落ちです。
こんな時こそ【寂】!
粗相しても大丈夫な備えと、ことが起きたときに、周囲がことさらに取り立てて騒がないこと、
それが、失敗した方への心遣いであり、人付き合いの極意なのです。

単純なマニュアルどおりに行かないのが、おもてなしや社交、エチケットやマナーズです。
とっさの時こそ、その人柄・人格があらわになる時でもあります。
言うなれば、良い社交術・エチケット・などというものは、
全ては、本人の人柄にかかってくるということです。
中味を磨くことをせず、形ばかりに気を取られた社交やエチケットで、
心温まる交流や本当に豊かな時は得られないのです。
気がついたときからが、自分の躾の始まりです。
中味から自分を磨くことをして、皆様素敵な女性になりましょう!

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