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      <title>ル・サロン on the web</title>
      <link>http://www.rosarium.org/blog/</link>
      <description>ロザリウムはサヴォアール・ヴィーヴル、社交と教養のサロンです。「ル・サロン on the web」では、ロザリウムの情報を発信していきます。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Mon, 28 Jul 2008 17:18:05 +0900</lastBuildDate>
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      <item>
         <title>真夏の贅沢</title>
         <description><![CDATA[<p>最近の我が家の習慣・・・<br />
深夜テレビや映画を見るときは、部屋中の電気をすべて消して、レースのカーテンも開け、窓も開け放して・・・もちろん冷房も切ってしまいます。<br />
そうすると、海からの風がカーテンをあおるほど吹いてきて、エアコンとは違う心地よい涼しさが程よく感じまられます。<br />
我が家は鎌倉の中心、駅の程近く。<br />
昼間は周囲の室外機でなおさら熱く、我が家も思い切りエアコンをかけてしまうのですが・・・。<br />
夕方ともなり風向きが変わり海風がふき出すと、都心とは違って、鎌倉が海の近くで自然に囲まれている環境であると、つくづく感じられます。<br />
（時には、漁村であることも実感する"香り"も漂ってきますが・・・！）<br />
あまりの心地よさに、人工的な音をすべて切ってしまったら、さらに素敵な自然が感じられました。<br />
深夜ともなれば、昼間の喧騒とは違う街の声、鈴虫の音、草木のざわめき・・・街中とは思えない風情です。</p>

<p>こんなことをしていると、つくづく、人は自然の一部と感じられます。<br />
どんなに文明化しても、どんなに快適といわれる環境を人工的に作れても、人の体には自然の暑さや寒さが、実は一番快適なのでしょう。<br />
以前、子供が小さい頃は毎年、西表やオーストラリアに潜りにいっていましたが、そんな時は、時計をはずし、おひさまとともに行動していたものです。<br />
それはそれは、体も心も伸び伸びとして至福のひと時でした。</p>

<p>あー、こんな心地よさを、私たちはエアコンで忘れてしまっていた・・・！<br />
"もったいない！"と、このところ、毎夜暗闇を楽しんでいます。<br />
気づけば、かなりのエコロジーではありませんか！！</p>

<p>日本中のエアコンが、たとえば10時以降に止まったら・・・<br />
きっと、街の温度は何度か下がり、エネルギーの消費の抑えられ、CO2だってかなりの削減です！<br />
以前、サロン会員に向けて書いている【ラ・パンセ】というコラムで、<br />
「飛行機からみると、日本だけは、国土の形の通りに光が瞬いている。」というお話を書きました。<br />
たとえば、夜フランスやイタリアからアルプスを越えると、真っ暗な谷間にごく小さな光が消えそうに瞬いているのが見えます。空からみるヨーロッパの街の明かりは、小さな点で、しかもオレンジ色で消え入りそうです。<br />
日本は海岸線にそって、煌々と明かりが瞬くというより、輝いています。<br />
それは決して豊かさや快適さの象徴ではなく、むしろ、お金や時間やステイタスといった、人の価値を決めるモノ以外の外見のモノに、翻弄されている日本の象徴のような気がしてなりません。</p>

<p>皆さんも、まずは、電気を消すことから試してみませんか？そして、できればエアコンを切ってみませんか？暗いと少しは涼しく感じるものですよ！<br />
エアコンの涼しさはないけれど、少し暑いくらいが、夏らしいではありませんか。<br />
こんなことは、便利に電気を使える今の日本だからこそ言えることです。<br />
便利で平和であることに感謝して、電気を切る贅沢を味わいましょう！</p>

<p>ところで・・・<br />
深夜ご帰宅の次男は、こんな我が家のマイブームが気に入り、風鈴があったらもっと粋じゃない？・・・と、『粋な江戸風鈴』を探しています！<br />
いい風鈴、ご存じないですか？</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000023.html</link>
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         <pubDate>Mon, 28 Jul 2008 17:18:05 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>らくがき！</title>
         <description><![CDATA[<p>この間テレビのニュースで、<br />
フィレンツエ大聖堂に落書きした女子大生が、<br />
学長とともに、泣きながら謝罪に行ったというニュースを報じていました。</p>

<p>このところ、日本人が世界遺産に落書きしていると、マスコミは、まるでマスコミこそ正義の味方・善の象徴とでも言うがごとき口調で、<br />
「世界遺産に落書きなんて！！」と攻め立てています。<br />
それこそ若気の至りで書いてしまったあの女子大生は、世間の厳しい視線にさらされ、つら日々だったことでしょう。<br />
自腹を切って再度訪問し、泣きながら謝罪したことで、彼女がもうマスコミにたたかれず、むしろその勇気をたたえて温かく見守ってもらえるようになることを祈るばかりです。</p>

<p>やけに同情的？レディのしつけを説いているはずの私が、このようなことを容認してよいのか？と思われるかもしれませんが・・・<br />
私は、この報道、一番初めから同調できなかったのです。<br />
今回のこの一連の【事件】（まさに事件です！）は、図らずも、<br />
世界に日本の教育がいかにひどいものかを示してしまったのです。<br />
それも日本の指導者とマスコミの程度の低さを！！</p>

<p>今回の【事件】、非難するポイントが全くずれていました。<br />
落書きした事ばかり、それもコメンテーターの誰もが「世界遺産に落書きなんて！」という非難のし方でした。<br />
あえて言いますが、落書きのない世界遺産なんて、世界遺産ではありません。<br />
落書き自体が悪いのではありません。<br />
また、若者ばかりが非難されましたが、若者とは、過ちを犯しておとなへと成長するもの。<br />
これもあえて言いますが、失敗もしたことがない、叱られるようなことはいっさいしたことがない優等生なんてろくな大人になりません。<br />
私がお付き合いのある、文化人・知識人でイタリアやフランスの彼らに言わせれば、何で日本はあのような報道をするのか？？？？？？と、理解しがたいようです。<br />
では、世界の目から見て、今回の【事件】のどこが間違いなのかをお話ししましょう。</p>

<p>まず第一は・・・<br />
非難されるべきは、落書きをした若者ではないということ。<br />
彼女たちを研修旅行と言って引率した教師：大人こそ、非難されるべきで、さらに直接引率した教師こそ、謝罪に飛んでいくべきなのです。もちろん学長はその上司ということでいくのは当たり前ですが・・・。</p>

<p>本来、＜研修旅行＞とは、何かの学問的・教育的な理由で、教師が生徒を引率し、数日間の間、寝食と共にし行動するものです。<br />
その場合、教師は学問的な指導だけでなく、生徒の一から十までの言動に責任があり、それを指導するのが当たり前です。<br />
私も何度も生徒を研修旅行に連れて行っていますが、それはただの観光旅行ではありません。<br />
朝起きたらホテルのダイニングでどうするか、見学場所ではどう立ち居ふるまうか、レストラン・ホテルの扱い方、お茶会に招かれたら・・・、劇場に行ったら・・、・・・・<br />
ありとあらゆる非日常の場面で、生徒一人一人がどうふるまうべきかを実は口うるさく指導するのが本当の【研修旅行】です。<br />
学校の机上で勉強し、それに沿って現地でさあ自由行動だ！...とばかりに放し飼い！　　先生も観光気分で楽しんでいるから、このような不始末が起きるのです。<br />
（先生みずから落書きしてというお話もありましたが、これは言及する必要もないほど程度の低いお話。教師の資格云々のまえに、結婚して家庭を持つ一人前の大人といていかがなものかということです。）<br />
【先生】とは、単に先に生まれた者ということではなく、先に生まれていろいろな経験をしているからこそ、その【生きざま】を後から来る人間に見せるられるということ。【先生】なんて別段えらくも何ともありません。人が知らないことをたまたま知っているにすぎません。しかし、もし、【先生】と呼ばれるのであれば、その呼称に値するなりの人格・徳を備えなければいけません。だって、先に生まれた者すべてが【先生】と呼ばれるわけではないのですから。<br />
近頃の【先生】にはその覚悟がないように思います。</p>

<p>第２に・・・<br />
落書きの仕方を知らなかったという点。<br />
ポンペイやポン・デュ・ガールに行って御覧なさい。皇帝ネロの宮殿ドムス・アウレアに行っててごらんなさい。チュニジアの古代ローマの街の遺跡エルジェムに行って御覧なさい。<br />
山のように落書きがありますよ！<br />
それも紀元前の！<br />
その落書きによって、今、私たちは、「あーあの時代はこんなだったのか。人はこんな風に暮らしていたのか・・・」と、まさにその【時代】を想像できるわけです。<br />
記録された公式文書なんて、どうせ時の権力者の思いのままに書かれたもの。本当の【時代】は映し出してはいません。<br />
１００年もすれば、<strong>＜正しい落書き＞</strong>は、【歴史】になるのです。</p>

<p>紀元前の落書きがなぜ残っているかというと、そては彫ってあるものが多いから。<br />
ドムス・アウレアの天井には、この遺跡が発見されたルネサンス時代、考古学の総監督をしていたラファエロがここから内部に入ったとされる穴が開いています。この穴の周りには、たぶん閉じ、ここを見つけた人たちでしょう、なんにんもの名前が書いてあります。<br />
ここからは、それこそ人類の宝、ラオコーンやプラクシテレスのアポロンが続々掘り出されたのです。<br />
ポン・デュ・ガールの高いところ、今は人が入れないところにも、なんと！多くの男性のシンボルが彫ってあります。<br />
これは勿論、この橋を築いた人々が彫ったものでしょう。<br />
遠くの山から何百キロも離れた街に清らかな水を運ぶこの水道橋は、当時の人々にとって人知を超えた素晴らしい建造物だったに違いありません。そこに彼らは子孫繁栄を願って落書きをしたのです。彼らの願いどおり、風雨にさらされようと、この落書きは何千年も残り、子孫は現在も繁栄しています。<br />
今回の落書きも、石造りのものに、マジックはいけません。せめて、彫ってほしかった！<br />
それから、ハートマークもいけません。だって、ルネサンス時代にハートマークたくさんのスタイルはそぐわないから。できれば、ラテン語の名句なんか、もしくは、ヤン・ファン・エイクにならって『＊＊＊ここにあり！』なんて掘れば、最高ですね！<br />
そうすれば、１０００年後（もし地球が存続していれば・・・それとの人類がいなくなって宇宙人が見つけるかもしれませんが。）、これを見た人々はこう思うでしょう。<br />
「東の果ての国から、２０そこそこの女の子がわざわざここにきて感動していったのだなあ」と。<br />
そうすればこれは歴史の一部になるのです。</p>

<p>このような過激な発言をあえてするのも、日本人が世界の感覚といかに違うかということをわかっていただきたいからで、決して落書きを推奨しているのではありません。<br />
今後、もし、落書きをしたと思うなら、西洋の世界遺産にするのであればラテン語とそのあたりの教養を、そのほかの地域のものならばその文化の根本をしっかり勉強した上で、それにふさわしい落書きをしてください。<br />
そう、１００年後に【歴史】となる様な落書きを！<br />
そのためには、かなりの教養が必要ですよ！！</p>

<p>無知は罪です。<br />
それが世界の認識。<br />
知っていれば人生の選択は無限に広がり、失敗も少なくなり楽しい人生を送れるのです。<br />
過去は、よりよい未来のためにあるのですから。<br />
世界遺産も、ただあることがその意義ではなく、未来の単に存続しなければいけませんね。</p>

<p></p>

<p></p>

<p><br />
　　　　　　　　　　　　</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000022.html</link>
         <guid>http://www.rosarium.org/blog/archives/000022.html</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 15 Jul 2008 11:33:55 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>ルドゥテの生涯</title>
         <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.rosarium.org/blog/archives/rose-thumb-200x287.html" onclick="window.open('http://www.rosarium.org/blog/archives/rose-thumb-200x287.html','popup','width=200,height=287,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.rosarium.org/blog/assets_c/2008/06/rose-thumb-200x287-thumb-200x287.jpg" width="200" height="287" alt="rose.jpgのサムネール画像" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><br />
１７５９年、ベルギー王国の北アルデンヌの森の中にひっそりとたたずむ<br />
サンチュベールという小さな村に、かの『薔薇のラファエロ』とたたえられた<br />
ピエール・ジョゼフ・ルドゥテは生まれました。<br />
中世には、"もののけ姫"の白鹿のような伝説を持つこの村の教会は、<br />
一台巡礼地として栄えましたが、今は、広場の噴水に憩う人影もない<br />
寂れた村です。<br />
ルドゥテはこの美しい自然と信仰厚い郷土の中で育ちました。</p>

<p><br />
ルドゥテの父親と長兄は、当時流行のオペラの舞台の「かきわり」を<br />
描いていました。パリに上京して活躍している二人の後を追い、<br />
ルドゥテも、当時世界の中心といわれたヴェルサイユを目指します。<br />
ルドゥテはよく、『宮廷画家』といわれますが、彼らのような絵描きは<br />
いわゆる画家としては認められない類の人々でした。<br />
曲がりなりにも、『画家』といわれるには、この時代、歴史画や宗教画、<br />
王侯貴族の肖像画を描いていなければなりません。<br />
舞台の背景や、ルドゥテのような「ボタニカルアート」を描くものは、<br />
単なる『職人』です。<br />
ルドゥテは確かに、マリーアントワネットに絵の手ほどきもし、<br />
ナポレオンにも使えましたが、その地位は決して高くはありませんでした。</p>

<p>あるとき、当時流行の植物学の本を書いたオランダの学者が、ルドゥテの<br />
腕を見込んで挿絵の仕事をくれたのです。<br />
ルドゥテは、図鑑の絵を書く前に、学者も顔負けの植物学の勉強をし、<br />
植物の細部にいたるまで正確に、しかも美しく描くことに専念します。<br />
あまりに美しいルドゥテの植物がは評判となり、当時ジョゼフィーヌが育てていた<br />
マルメゾンのバラたちを描くこととなります。<br />
それが、先ごろ文化村ミュージアムで開かれていた『ＬＥＳ　ＲＯＳＥＳ』です。</p>

<p>ルドゥテの前にルドゥテなし、ルドゥテの後にルドゥテなし。<br />
もっとも美しい薔薇を描く画家として、彼は未来永劫まで『名』を残すでしょう。<br />
でも、生前彼が手にしたのは、ほんのごくわずかの報償と<br />
気まぐれな宮廷人の賞賛の言葉のみ。<br />
もちろん著作権もない時代ですし、まして、当時『絵画』としての価値のない<br />
『挿絵』職人でしたから・・・。</p>

<p>彼の生きた時代は、フランス大革命の時代。<br />
激動の時代、彼の雇い主は次々没落し、画家ではない彼には『職』がなくなりました。<br />
ルドゥテは、あの懐かしい静かな生まれ故郷のサンチュベールに戻り、最期には<br />
食べるもにもことかく極貧生活を送ります。<br />
フランスから戻ったルドゥテを村人は暖かく向かえ、面倒をよく見ました。<br />
ルドゥテは、ここで、村人に看取られて静かに８１歳の生涯を閉じました。</p>

<p>これが、私たちが『宮廷画家ルドゥテ』と呼び、輝かしい活躍と栄光を<br />
手にしたかに思っている彼の真実の生涯なのです。</p>

<p>２０００年、ベルギー王国大使公邸での展覧会に感激してくださったベルギー文化庁と<br />
ルドゥテ美術館のお招きで、生徒を連れてサンチュベールの生家を訪問しました。<br />
村長さん、村長さん、文化庁の方々始め、心優しい村人が、シャンパンを抜いて<br />
私たちを歓迎してくださいました。当地の新聞にも取り上げられました。<br />
この村に行って、ルドゥテがあのような薔薇が描けた理由がわかった気がします。<br />
欲得ではなく、本当に美しいものを知っている、暖かい心を知っているからこそ、<br />
どんな時代どんな文化の人が見ても美しいと感嘆し心が安らぐ薔薇が描けたのだと。</p>

<p>このとき、館長さんからプレゼントされた、原画から刷った『ダマスクローズ』は、<br />
鎌倉サロンでいつもロザリウムの成長を見守ってくれています。</p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000021.html</link>
         <guid>http://www.rosarium.org/blog/archives/000021.html</guid>
        
        
         <pubDate>Thu, 26 Jun 2008 22:45:08 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>ルドゥテの薔薇</title>
         <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.rosarium.org/blog/rose.html" onclick="window.open('http://www.rosarium.org/blog/rose.html','popup','width=240,height=345,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.rosarium.org/blog/rose-thumb-300x431.jpg" width="300" height="431" alt="rose.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><br />
今年、ロザリウムの庭に咲いたダマスクローズです。 <br />
香りは＜ミルラ：乳香＞のすばらしい香り！</p>

<p>ながーい事、ブログにご無沙汰してしまいました。<br />
昨年鎌倉サロンがリニューアルした直後に母が入院<br />
この１年、母のことに加え新サロンやお授業で、目の<br />
回る忙しさでブログを書く間がありませんでした。<br />
でもやっと少し時間が取れ始め、PCに迎えるように<br />
なりました。【ル・サロン・オンザ・ウエブ】を<br />
楽しみにしてくださっていた皆様、長いお休み<br />
申し訳ありませんでした。</p>

<p>写真も入るようにバージョンアップ！<br />
また、PCに迎えるときは、張り切って書きたいと<br />
思います。また、どうぞ、よろしく！！</p>

<p>さて、今回は、バラのお話・・・<br />
写真のばらは、ピエール・ジョゼフ・ルドゥテの<br />
『LesRoses』にも登場するオールド・ローズです。</p>

<p>ベルギー王国大使公邸で、このルドゥテのバラをテーマに、<br />
ベルギーのサヴォアール・ヴィヴルの食卓をご紹介する『バラの食卓展』を開いたのは、<br />
２０００年のことでした。<br />
この前年の暮、デュルクス大使と相談して、テーマが『ルドゥテのバラ』に決まったのには、わけがありました。<br />
このころから、日本では、バラの展覧会なども行われるようになり、<br />
ルドゥテのバラの絵がアンティークショップなどで、額に入れられて売られるようになっていました。<br />
いろいろなバラの本の中でもルドゥテのバラの話が載るようになりましたが、<br />
そこには多くの誤解があり、フランスの宮廷画家とか英国の画家と載っていたのです。<br />
実は、ルドゥテはベルギー人。<br />
ルドゥテの生きた時代に、ベルギーという国はなく、フランス領だったり英国領だったり・・・。ですから、フランス人などと書かれてしまうのですが・・・。<br />
正確に言うと、ベルガエ人。<br />
かのユリウス・カエサルが勇猛果敢とたたえたケルトの末裔でした。<br />
こうした誤解を解き、ルドゥテがベルギー人であることをアピールしようというのが、<br />
あの『食卓展』の目的のひとつでした。</p>

<p>展覧会は大好評！<br />
毎朝、岐阜の薔薇園から、ルドゥテの絵に描かれたオールドローズに近い薔薇を運び、<br />
皆、その香りに酔いしれまいした。<br />
この展覧会の写真や記録は本国に送られ、私は本国のルドゥテ美術館からご招待を受けました。<br />
２０００年の夏、私は生徒を連れ、ベルギー王国研修旅行に出かけました。<br />
ルドゥテ美術館は、アルデンヌの森に囲まれた、小さな小さな村にひっそりとあります。<br />
１７５６年、ルドゥテはここで生まれ、そしてこのふるさとで、なんと食べ物もままならないほどの極貧の中、村人に看取られて８１歳の人生を閉じたのでした。</p>

<p>日本人は、あの薔薇の絵を見るたび、『宮廷画家ルドゥテ』と聞くたび、<br />
彼が華々しい人生を送ったように思うかも知れません。<br />
でも、事実は、まったく違うのです。</p>

<p>ルドゥテの本当の人生を知ると、あの美しい薔薇の絵の花びら一片一片に、<br />
彼の壮絶なまでの美への想いが感じられ、思わず、胸が熱くなります。<br />
そんな、ルドゥテの一生のお話は、また次回！</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000020.html</link>
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         <pubDate>Tue, 10 Jun 2008 11:06:55 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>鎌倉サロンオープン！</title>
         <description><![CDATA[<p>鎌倉のロザリウムのサロンが、オープンしました！</p>

<p>理想は、カスティリオーネの『イル・コルティジャーノ：宮廷人』に<br />
登場する、エリザベッタ妃のサロンとでも言いましょうか。<br />
老若男女は集い、互いの教養を交換し合う場所。<br />
“集い”の場です。</p>

<p>いわゆるホテルや貸し教室と違い、鎌倉サロンは、<br />
あくまでもプライベートな雰囲気の<strong>【サロン】</strong>です。<br />
靴を脱ぎ、ソファにくつろぎ、マッタリとお茶を愉しみ・・・<br />
お部屋のあちこちには、教養の元“デコレーションブックス”や<br />
アンティークの品々、美しいものに囲まれて<br />
ちょっと非日常だけれど、心が落ち着く“くつろぎの空間”。<br />
そうした空間で、いわゆる『講義』では無く、英知を持った方々が<br />
『語る』という形で、まさに国際人として日本人として不可欠な教養を<br />
身につける・・・これが鎌倉サロンの姿です。</p>

<p>しかし、ここは単に教養を身につけることが目的ではなく、<br />
こうして<strong>“集う”ってお茶をすることで、磨かれる『エチケット・マナーズ』</strong>も<br />
大きな目的の一つです。<br />
現代の日本は、かつての<strong>【礼】</strong>の“心”が失われてしまいました。<br />
日本は<strong>、【礼節】【品格】【品性】【高潔】</strong>といった言葉で表されるような、<br />
まさに“美しい”心がけの国でした。<br />
それは、年の上の者が下の者に対し<strong>、【躾】</strong>を怠らなかったからだと思います。<br />
別に躾の学校に行かずとも、日常的に伝授され、お手本となる言動で<br />
次の世代もまた<strong>【品格ある人格】</strong>に育ったのだと思います。<br />
今の日本に、そのような“場”があるでしょうか？<br />
こうしたことはじかに人が触れ合わなければできません。<br />
インタネットや、携帯などのバーチャルな世界では、<br />
【躾】はできません。<br />
鎌倉サロンは、あえて、ターゲットを特定せず、あらゆる世代・職業<br />
男女が集うことを目的としました。<br />
特にお若い方々には足を運んで、人生の先輩から、<br />
たくさんのものを吸収してほしいと思います。</p>

<p>多くの皆さまに素晴しいことと応援も頂きましたが、<br />
ある一面、今の日本でこうした“集い”を広めるのは難しいとも感じてはいます。<br />
しかし、難しくても、できる人が始めなければいけないと思います。<br />
品性のあるかつての日本人の心を取り戻す為にも。</p>

<p>といっても、鎌倉サロンは、小難しいところではありません。<br />
美味しい（！ロザリウムのケーキは絶品と評判です！）ケーキとお茶と<br />
美しいくつろぎの空間で、トリビアな知識を愉しく聞ける場所です。<br />
大勢で聞く講演会や、カルチャーセンターのような無味乾燥な空間で、<br />
難しい話を聞きたら寝てしまう・・・という、あなた！<br />
こんなところでなら、きっと愉しくいい時間を過ごせるでしょう。</p>

<p>次回は、そんな鎌倉サロンで、どんな愉しい時間が繰り広げられているか、<br />
ご報告しましょう。<br />
</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000019.html</link>
         <guid>http://www.rosarium.org/blog/archives/000019.html</guid>
        
        
         <pubDate>Fri, 13 Jul 2007 09:45:21 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>薔薇物語</title>
         <description><![CDATA[<p>≪インナービューティソリューション≫が終りましたので、何とか時間を作り、<br />
ブログの更新です！</p>

<p>今日は、≪バラ≫のお話。</p>

<p>　　『おお５月の薔薇よ。愛しい乙女。<br />
　　　優しい妹　かわいいオフェーリア』　　～シェークスピア【ハムレット】より<br />
　<br />
これは、恋人ハムレットに父親を殺され、気が狂って死んでゆく妹オフェーリアに<br />
語る兄レアチーズのせりふです。</p>

<p>≪５月の薔薇≫・・・それは一足先に咲き、はかなく散って行く薔薇の花。<br />
オフェーリアのように、可憐ではかない、純真無垢の乙女の象徴です。<br />
６月、特に今年は異常気象で、世界各地の薔薇は、５月から咲き競ったようです。<br />
実家のバラ園にも、色とりどりの薔薇が咲き乱れ、一番美しいt期を迎えました。<br />
今でこそ、薔薇は華やかで、薫り高く、女王のようですが、<br />
古代の薔薇は、実はとても質素でした。</p>

<p>旧約聖書・雅歌の中には、よく『シャロンの薔薇』という表現が出てきます。<br />
これは、恋する男女が交わす詩歌です。<br />
ですから、西洋文化では、『シャロンの薔薇』といったら、<br />
恋に酔いしれ盲目となった乙女の象徴として、映画や小説のせりふによく使われます。<br />
旧約の時代から薔薇は、"恋"や"愛"の象徴だったわけです。<br />
この頃地中海沿岸に咲く薔薇は、一重で、今のクリスマスローズのような<br />
いまどきの派手な薔薇とは似ても似つかない代物。<br />
この薔薇は、アリア様があるいた道端に、次々咲いたといわれるもの。<br />
その花を摘んで花輪を作り、古代の人々は、マリアさまへの祈りのときに使いました。<br />
これが、≪ロザリオ≫・・・そう、ROSA：薔薇が語源でできた言葉です。</p>

<p>薔薇は人類のここぞという歴史の節目に必ず登場します。<br />
例えば、ローマ時代、エジプトの命運をかけたクレオパトラとアントニウスの出会いの時。<br />
年増で子持ちの再婚というクレオパトラ。<br />
シーザーの後に戦利品もとめてエジプトに押しかけてきたのは、<br />
いまやローマ一の将軍となったアントニウス。<br />
クレオパトラは、なんとしてもアントニウスを手なづけたいのです。<br />
彼女は、初対面の場に、船上という特殊な場を選び、用意周到にことを運びます。<br />
アントニウスが舟の天幕をくぐると床一面の薔薇の花びら・・・むせ返る香り・・・<br />
その花びらを掻き分け掻き分け進むと、舞い上がった花びらで、<br />
さらに薔薇の香りが立ち込めて・・・・・・・・・・・・・<br />
薔薇には殺菌効果、鎮静効果と共に、恋する気分にする効果が絶大にあります。<br />
さすが、世界一の教養を身につけた女王！！<br />
奥座の彼女の元に辿りつく頃には、<br />
荒くれ将軍アントニウスはただの恋する男になっていました。<br />
この出会いが、エジプトと、ローマの行く末を決定するのです。</p>

<p>この出会いで、地中海全てを手に入れたのが、初代皇帝アウグストゥス。<br />
『パスクロマーナ』といわれた幸せなユリウス家の治める世界が終焉を迎える頃、<br />
皇帝ネロご自慢の『黄金宮殿』の八角の間の丸天井からは、回転するたび、<br />
薔薇の花びらが舞いおり、人々は薔薇に埋もれて宴会を繰り広げました。<br />
夢のまた夢･･･こんな時代は永くは続きませんでした。</p>

<p>６月１７日、薔薇に埋もれて鎌倉サロンがグランドオープンします！！<br />
本来は５月半ばにグランドオープンパーティの予定が、<br />
工事の遅れで、１ヶ月以上延びたのです。<br />
私は、物事には、『時』というものがあると思っています。<br />
工事で１ヶ月遅れて、オープンが６月になったのも、<br />
それがオープンにふさわしい『時』だったのでしょう。<br />
ROSARIUMとは、古代ラテン語で、ご主人が自ら育てるような小さな薔薇園のこと。<br />
１８年前、私のサヴォアール･ヴィーヴルのサロンに、この名前をつけたのも、<br />
生徒一人一人を丁寧に育て美しい薔薇を咲かせたいと言う想いからでした。<br />
今回の鎌倉サロンは、鎌倉から、本当の文化サロンが生まれ育ち、<br />
広まってほしいという気持ちから、始めたこと。<br />
５月スタートでは、まさに『５月の薔薇』になってしまっては困ります。<br />
６月の薔薇のように、鎌倉サロンが輝いて、<br />
皆様の心の潤いとなる場に成長してほしいものです。<br />
遅れ遅れて、この日しかない！と決まった１７日は、<br />
偶然にも、私の５３歳のバースデイ。<br />
当日、鎌倉サロンは、色とりどり何百本もの薔薇で埋まります！<br />
薫り高いオールドローズやイングリッシュローズで、<br />
まさに文化の世界のスタートです！！</p>

<p>皆様、是非、一度鎌倉サロンに文化を楽しみにいらしてください！<br />
鎌倉サロンは、いらしただけで、きっと心の中から美しさが磨かれる<br />
そんな空間です！！！</p>

<p></p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000018.html</link>
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         <pubDate>Mon, 11 Jun 2007 22:15:43 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>チョコレートケーキの家</title>
         <description><![CDATA[<p>鎌倉の自宅は、現在リニューアル中で、このブログもかなり長いことサボってしまいました。<br />
その言い訳も兼ねて、我が家のことを書きましょう。<br />
我が家は鎌倉駅すぐに建つ、チョコレートケーキのような、三角屋根の４階建てのビルです。<br />
といっても、お店や会社ではなく、駅前のメインストリートに面しているにもかかわらず、<br />
全く家族だけで住む一般住宅なのです。<br />
２６になる長男が生まれた時に建ったこの家は、<br />
当時、鎌倉在住の作家が雑誌の中でほめてくださったり、<br />
コンテストでも入選したりという建築家冥利に尽きる≪ローマにあるような建築≫です。<br />
今回、２５年ぶりに外壁のレンガの点検やチョコレートの塗りなおしもしました。<br />
そうしたら、２５年たって初めて、建築家の方が『ローマのような・・・』とおっしゃった意味が判る、<br />
家族全員ウーーーンとびっくりしてしまうことがありました。</p>

<p>母と紀伊国屋のスーパーからかえってくるとき、我が家の三角屋根を見上げると、何かてっぺん近くに<br />
盛り上がってついている物があるのです。<br />
母と、「鳩の糞かしら」とのんきなことを言っていたのですが・・・。<br />
ナントこれが、コンクリートだったのです。屋根自体が、まるで外見にはスレートを重ねたように見えるのですが、全てコンクリートで型取りしたものだったのです。<br />
つまり、建築家の方が言っていたローマとは、≪古代ローマ≫の建築のこと。<br />
要は、パンﾃオン！！<br />
全てをコンクリートで、石で作るという、現代建築では手間も費用も莫大にかかるものだったわけで、<br />
確かに外見もイタリアあたりにあるような風情の建築なので、私達はそう理解していたのですが、<br />
実は、建築方法そのものからして【ローマ】だったのです。<br />
古代ローマといえば、確かに、西洋建築のルーツ。<br />
いえ、西洋文化のルーツです。<br />
そんな家に、ノホホンと２５年も済んでいたとは・・。<br />
この家を建てる頃、私のお腹には長男がいて体調が悪く入院したりしていましたから、<br />
考古学調査で長引いていたここには足も踏み入れないまま家が建ちました。<br />
私は、西洋文化のルーツとして、古代ローマのことも多く教えていますし、<br />
ラテン語の名句も教えています。<br />
自分の足元を知らず・・ではなく、頭の上にローマがあったことを知らずにいたなんて！！</p>

<p><br />
この家はデザイン重視のせいか、まさに西洋邸宅のように、入り組んだ間取りで、<br />
しかもデザインの帳尻の為、壁の中に空間がずいぶんと取れている建築で、<br />
済むものにとっては、結構大変なうちでした。<br />
が、こんな事情が分かって、家族は改めて、大切にしなくちゃね・・と思っています。</p>

<p>工事の際、ここを立てた大成建設が大きなクレーンを持ってきて、鉄骨の足や５階相当に当たる<br />
屋上にあったもう使わないセントラルヒーティングのコンプレッサーの撤去などを<br />
手際よくするのには、一同口をあけて眺めてしまいました。<br />
何事にもプロの仕事は素晴しいです。<br />
ロープ一本をクレーン車のレバーだけで操作して、電線をよけ、わずかの隙間を<br />
塗って上げ下ろし・・・。<br />
日本人は器用だとつくづく眺めてしまいました。</p>

<p>外壁工事は１週間ほど前に終り、チョコレート色も美味しそうに、<br />
ぴかぴかのかわいい三角屋根の我が家が顔を出しました。<br />
ロザリウムは、美味しい手作りケーキのティータイムを大切に思っています。<br />
人と人が触れ合うやさしい時間に、甘い香りのケーキは欠かせません。<br />
チョコレート色の家を見上げながら、<br />
ここはやはり、皆さまに心温まる美味しい時間を提供する為に生まれた家なのだと<br />
納得しています。</p>

<p>現在のリフォームは、６月から、ここに、穏当の意味での【サロン文化】の場を<br />
広くあまねく多くの方々に提供する為の工事です。<br />
多くの企業や人々がここを借りたい提供してくれといっていらっしゃいますが、<br />
やはりここは、【サロン】の為に生まれた家。<br />
経済効率より、私達は、人の集う場として活用することを選びました。<br />
美味しそうな外見に負けないように、充実した【サロン】ができるように、<br />
気持ちも新たに頑張っています。</p>

<p>何十年かして、ここ鎌倉の小さなサロンから、<br />
日本中に、国際文化と日本人のアイデンティティーを身につける<br />
【サロン文化】が始まった・・・といえるように！</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000017.html</link>
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         <pubDate>Mon, 07 May 2007 16:32:09 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>レディの卵</title>
         <description><![CDATA[<p>先週は函嶺白百合の高校３年生の【国際儀礼】の最後の授業がありました。<br />
中学１年生の時から６年間。<br />
最初は、まだ小学生の子供っぽさが抜けやらず、<br />
あどけなかった生徒達が、美しいレディに育っていくのを見るのは、<br />
本当に嬉しく楽しいことです。<br />
私は、子供達を<strong>『レディの卵』</strong>と呼んででいます。<br />
６年間の間に『レディ教育』をうけ、卒業時には<strong>“卵から孵る”</strong>わけですが、<br />
この６年間に何を身につけたかで、<br />
“白鳥”になるか“アヒル”や“カラス”になるかが<br />
決まります。<br />
私は、卵が身も心も美しい白鳥に孵る様、指導するわけです。</p>

<p>私には娘がいませんので、白百合の子供達は娘のように感じています。<br />
ここ十年間子供たちを見て、そのご父兄に接して、思うのは、<br />
家庭でのしつけの大切さです。<br />
私の授業については、子供達が大学に進み社会に出て・・・<br />
人生のひょっとした時に、<br />
そういえば学校で【躾】だとか【エチケット】だとか【国際人】なんて、<br />
小うるさいことを言ってたなあ・・・<br />
でもこんな時はこう考えればいいって言ってたなあ・・・と、<br />
思い出してくれればいいと思っています。<br />
学校の授業が全て即座に身につくわけもありませんし、<br />
特にランチ後の授業は夢のかなたかもしれません。<br />
物事を身につけるということは、一朝一夕にできることではありませんし、<br />
言われたこと全てが瞬時に理解できなくても、<br />
いづれ何かの時に思い出してくれればいいと思っています。<br />
<strong>【躾】も【教養】と同じで、じわじわと染み付いて来るものなのです。</strong><br />
ですから、ふだんの生活が大切になります。<br />
そういう意味で<strong>『家庭での【躾】</strong>が人を育てる』と実感するのです。<br />
日々の積み重ねは大きいのです。</p>

<p>ではどうしたら、家庭でよい“躾”ができるのでしょうか？<br />
ご父兄からは時々、ご質問をいただきます。<br />
ご父兄が【国際儀礼】でおしえるようなエチケットやマナーや教養全てを<br />
身につけていればいいのでしょうけれど、教えている私ですら<br />
日々精進ですから、それは無理な話です。<br />
まずご家庭では<strong>『“雑”なことをしない！』</strong>と心がけて下さい。<br />
“雑”が身にしみてしまった大人を、いまさら“白鳥”に孵すことは至難の業です。<br />
多くの生徒を教えてきた私の実感です。<br />
手取り足取り教えても、“雑”が身に染み付いた人は<br />
なかなかきちんとした立ち居振る舞いが身につきません。<br />
知らないことなら学べばいい。教えてもらえばいいのです。<br />
でもそれらを実行しようとしたとたん、頭では分かっているつもりでも、<br />
体が“雑”“乱暴”に動いてしまいます。<br />
“教養”も、“雑”だとどんないい物が目の前に提示されても感動もしないし、<br />
学びの視点も違ってしまいます。<br />
エチケット・マナーズ、教養は、その気になれば<br />
人生のどこからでも身につけることができますが、<br />
<strong>立ち居振る舞いの“品”は、いわゆる“三つ子の魂”</strong>なのです。<br />
ご家庭で良い“躾”を・・・と思われるのでしたら、<br />
エチケット・マナーズの本を買って読む必要はありません。<br />
食卓の食器の並び、お料理の盛り付け、お茶の入れ方、玄関の靴・・・<br />
極ありふれた日常のしぐさや生活を、<br />
親が≪丁寧に、当たり前に、手抜きをせずに≫することです。<br />
また、それは子供に強要する必要はありません。<br />
ただ、親がしていればいいのです。<br />
その背中を子供はちゃんと見ていますから。<br />
そうすることで子供達は、<strong>“イザ”</strong>という時に<br />
きちんとしたことができるようになるのです。</p>

<p>現代は、情報も山のようで自分に自信のないお母様が増えているように思います。<br />
世の中に流される必要はありません。<br />
あなたがきちんと生きていれば、愛する子供はすくすく育つはずです。<br />
動物は、子育てをする時、何事も親がお手本を見せます。<br />
子供をレディに育てたいなら、自分がレディになればいいのです！</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000016.html</link>
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         <pubDate>Mon, 19 Feb 2007 14:13:19 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>ノーブレス・オブリージュ</title>
         <description><![CDATA[<p>忙しさとでダウンして、久しぶりのブログです。</p>

<p>今回は、<strong>Noblesse oblige.</strong><br />
皆さんこの言葉を知っていますか？<br />
英語だと思っていませんか？</p>

<p><strong>これはれっきとしたフランス語。<br />
</strong>　　『身分の高いものは、それにふさわしい振る舞いをしなければいけない』<br />
と、仏和辞典に書いてあります。</p>

<p>最近ある雑誌で、「世界のセレブは、チャリティーパーティーなどして、ボランティアをするが、<br />
これはセレブに課せられたノーブレス･オブリージュである」と言うような記事を見ました。<br />
まず、世界にはセレブルティーは存在しますが、セレブという、<br />
日本人が思い描くような人々のことではありませんし、<br />
世界の言葉ではセレブという言葉は通用しません。<br />
そして、ノーブレス･オブリージュという言葉から西洋人文化が思い描くのは、<br />
もっと、違うものと思ったほうがいいでしょう。<br />
もちろん、ボランティアは、<br />
社会のトップの人間、影響力を持つ人間がしなくてはいけないことの一つではあります。<br />
さらには、単に弱者に対するボランティアだけでなく<br />
文化的なボランティアができていなくては、社会の上に立つ人間としては失格といえます。</p>

<p>ノーブレス・・・という言葉は、直訳すれば『高貴なもの＝貴族』。<br />
オブリージュ・・・という言葉は、よく責任と訳されますが、この言葉は、単に責任というだけでなく<br />
<strong>『しなければいけない』『せざるをえない』</strong>という、かなり強いニュアンスを含みます。<br />
つまり、本人の自主的な行動でなくても、<br />
その地位にいるという理由だけで、･･･せざるを得ないことがあり、<br />
それをすることが、このノーブレス・オブリージュの言う責務なのです。<br />
英国ではこの言葉の説明に良くこんな話をします。</p>

<p>『第一次大戦、英国軍の塹壕で・・・。ある若い将校が、一般の兵隊に手榴弾の扱いを教えていた。<br />
　ところが一人の兵隊が誤って手榴弾の発火装置のピンを抜いてしまい、パニックになった。<br />
　すると、将校が自らの体で手榴弾を覆い、手榴弾は破裂して体は木っ端微塵。　　<br />
　しかし、おかげで塹壕の兵士達は助かった。』<br />
実際、将校となるのはたいていイートンのような英国屈指のパブリックスクールのエリート達。<br />
つまり、ノーブレスたちでした。<br />
実際、この頃のイートンの卒業名簿の欄には、櫛の歯を抜いたように<br />
＜戦死＞の文字が並んだといいます。<br />
イートンではこの話を元に、<br />
「ノーブレスたるもの、どんな時もひるまず、潔く、命がけで守るべきものを守れ！」と教えます。</p>

<p>こうした思想は、西洋文化の根源である古代ギリシャに端を発します。<br />
クラシックといわれた人類最高の時代、アテナイのノーブレスたちは、<br />
<strong>『良くいき、よく死ぬ』</strong>ことが、ひととして一番求められる品格と考えていました。<br />
まさにパソスの思想です。<br />
この思想は幼い頃から、【パイデア】という教育として行われました。<br />
それが目指したものは<strong>【人格形成】と【教養】</strong>で、<br />
特に６歳までに【アイドス】というものを叩き込みました。<br />
【アイドス】とは、神とか親とか年長者、さらに他人や自分に対する<strong>【畏敬の念】</strong>のこと。<br />
ですから礼儀作法は、とても大切でした。<br />
次に、【アレテ】･･･<strong>【徳】</strong>を磨くことを教えました。<br />
古代ギリシャで言う【徳】とは<strong>【勇気】【経験】【良いしつけ】【正義】</strong>を身につけるということ。<br />
こうした物が備わって初めて、ノーブレスとしてふさわしい人格・品格があるといわれたのです。<br />
彼らは、戦場ではひるまず先頭に立って戦い、<br />
自分の役職にあっては部下の不祥事も何もかもを自分の責務と心得、<br />
よりよい社会のために命を掛けることをいといませんでした。<br />
こうしたノーブレス･オブリージュが敢行されていた時代、<br />
アテネは世界一の繁栄と栄誉を手にしていたのです。<br />
アテネがその繁栄におごり高ぶり、トップに立つ人間は保身を考え、<br />
嘘や不正やごまかしが横行し始め、最後にたった一人のアテナイ人の裏切りがきっかけで、<br />
アテネは崩壊の坂を一気に転げ落ちました。</p>

<p>教育とか品格とかが取りざたされる昨今。<br />
一般人や子供がどうのこうの言う前に、<br />
人々のお手本であるべき【社会のトップに立つ人間】が、<br />
このようなノーブレス･オブリージュの精神を持たなくては・・・と思うのは、私だけでしょうか？<br />
人心が卑しくなった国家は、崩壊し存続が危うくなる・・・歴史はそう教えています。</p>

<p><br />
</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000015.html</link>
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         <pubDate>Sun, 28 Jan 2007 00:20:49 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>頑張って！</title>
         <description><![CDATA[<p>ロザリウムのお授業がきっかけで、先ごろ、一冊の本ができました。</p>

<p>元々私はフランス文学が専門です。<br />
日本の大学ではなかなか学ぶ機会が少ないフランス文学の中に、<br />
『ラ・ファンテーヌ』という詩人がルイ１４世時代に王太子のために書いた<br />
人生訓とも言うべき“詩”があります。<br />
日本では単なる子供向け【童話】のように受け取られていますが、<br />
これを、ぜひフランス人的ものの考え方で皆様にお教えしたいと思い、<br />
昨年、フランス文学出身の詩人である安部薫先生にお願いいたしました。<br />
そして、この秋、先生が自費出版で、【ラ・フォンテーヌ寓話】というご本を出版されたのです。</p>

<p>私の周りには、素晴しい人生の師がたくさんいらっしゃって、<br />
いつも私は助けていただいていますが、阿部先生もその一人。<br />
さすが、フランス文学出身者らしく、美しく的確な言葉で、人に心を伝えられる方です。</p>

<p>その阿部先生が、今回のご本を送ってくださるとき、私や生徒に向けて送ってくださった<br />
言葉・・・それが『BON　COURAGE』<br />
“ボン・クラージュ”と読みます。<br />
直訳すれば＜良い・勇気＞<br />
「頑張って！」というときに使う言葉です。</p>

<p>近頃躁うつ病や自殺など、人の精神がめげてしまう心の病が問題になっています。<br />
そんな人には、「頑張って」といってはいけないと精神科医の先生はおっしゃいます。<br />
確かに、日本語の「頑張って」という言葉は、<br />
肩に力をいれて踏ん張って何かに立ち向かう・・・そんなイメージが沸いてきます。<br />
つらい時、休みたい時にそんなことを言われたら、益々大変な重荷に感じてしまうでしょう。</p>

<p>しかし、フランス語で、そうしたときに掛けるこの『BON　COURAGE』には、<br />
そんな意味合いはありません。<br />
『勇気を出して！』ということなのですから。<br />
めげて下を向いてしまった視線・・・でも、勇気を出して上を見て御覧なさい！<br />
今までと違う景色が目に入ってくるでしょう！<br />
今まで出なかったその一歩を、勇気をもって出して御覧なさい！<br />
“勇気”は、人生を乗り切る上で大切なキイワードです。</p>

<p>つらい時に人が掛けてくれる言葉の重みは、その人の一生を左右することもあります。<br />
もし、今、あなたの隣につらい時をしのんでいる人がいたら・・・<br />
「頑張って」ではなくて、「勇気を出して！」と声を掛けてあげませんか。<br />
実は、ラ・フォンテーヌには、こうした人生を乗り越えてゆく知恵がたくさん詰まっているのです。<br />
小さいときからこうした古典のよいものを、空で覚えるほどに家庭でも学校でも親しませて<br />
人を育てている社会と、子供がファミコン・TVと大人社会の経済活動の餌食となっている社会。<br />
おのずと、結果が見えてきます。</p>

<p>「人生うまくいかないから知恵が出る」<br />
これは阿部先生のモットーであり、ラ・フォンテーヌの言わんとするところです。<br />
古典：クラシックとは、古臭いもの辛気臭いものでなくて、<br />
時代を超え文化を超えて素晴しいからこそ生き残ったものを言います。<br />
阿部先生からのメッセージが素晴しかったので、皆様にもお送りしましょう。</p>

<p>「人生うまくいかないから知恵が出る」<br />
勇気を出して、めげずに苦難を乗り切る・・。<br />
それが人生の妙味というもの。<br />
ひるんではダメ！<br />
勇気を出せば必ず活路が開けます。<br />
　　　　BON　COURAGE　！</p>

<p><br />
</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000014.html</link>
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         <pubDate>Thu, 30 Nov 2006 11:19:41 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>『和敬清寂』その３</title>
         <description><![CDATA[<p>≪ヤマトグランドツアー≫が入り、ずいぶんと間が開いてしまいました。<br />
グランドツアーは、大変充実して楽しい時間でした。<br />
あの時代の私達の祖先は、なんと国際的なものの考え方ができている人たちだったのだろうかと、<br />
感心し、感動しました。<br />
あの時代から、今の私達が学ぶことは山のようにありそうです。<br />
しかも、想像以上に色鮮やかな美しい時代だったことにも、おどきました。<br />
現代の私達の美意識なんて、足元にも及ばない、ダイナミックな美学が存在していたのです。<br />
・・・と、やまと文化のすごさは、又にして、やっと、<br />
『和敬清寂』のお話の最後、【寂】についてです。</p>

<p>【寂】<br />
<blockquote><blockquote>この文字は、仏教で言うところの涅槃の境地というか、<br />
この前も後もない“無”の境地を意味します。<br />
音もなく、風のそよぎすらない、ひたすらの静けさ・・・<br />
これが【寂】の文字の表す世界です。<br />
決して寂しい（さみしい）わけではありません！</p>

<p>人との付き合い、おもてなしの中では、常にこの心境がです。<br />
何があってもあわてない、微動だにしない！<br />
常に、静かな心、静かな立ち居振る舞い・・・<br />
これこそ、円滑で心が通じ合う人付き合いの極意であると、<br />
利休は言いたいのです。<br />
茶道の所作では、速過ぎて忙しないものはもちろんダメですが、<br />
遅すぎるのもためらいがちに見えてよくない“手”といわれます。<br />
宇宙のリズムにあわせ、逆らうことのないリズム・・・これが、美しい所作となる、<br />
そう、躾けられたものです。<br />
西洋のノーブルの間では、子供をしつけるとき、同じようなことを言います。<br />
「レディは走ってはいけません。」と。<br />
育ちがいい人は、何事もゆっくりしているものです。<br />
つまり、レディと尊称のつくような身分の者は、どたばたしてはいけない、<br />
慌てふためいた姿を人に見せてはいけない・・・ということです。<br />
慌てふためくということは、“心構えや備えが無かった”“知らなかった”ということで、<br />
本人の無教養さを露呈していることにほかなりません。<br />
無教養であることは、ノーブルな人々の間で、一番嫌われることです。</p>

<p>皆様は、小学生の頃良く「廊下を走ってはいけません」と言われませんでしたか？<br />
なぜ走ってはいけないのでしょうか？<br />
白百合の授業の際に、この質問をすると、<br />
いままで、そんな理由を考えたこともない子供達が、頭をひねって、<br />
「決まりだから」「ぶつかると危ないから」「うるさいから」・・・と、答えます。<br />
「誰もいなければ走ってもいいんじゃない？」「休み時間なら、うるさくしても大丈夫でしょ？」<br />
「どうしてそんな決まりがあるの？」・・・と聞くと、答えが詰まってしまいます。<br />
近頃は、代々この答えはこう・・・と、先輩諸氏からの伝達があるらしく、<br />
『レディは走ってはいけないからー！』と、口を揃えて答えます。<br />
かわいいですね。</p>

<p>全ての理由は【寂】だからです。<br />
人と接する時の極意として、私たちが見落としがちなのが、この【寂】。<br />
例えば、お客様がコーヒーカップを取り落としたとしましょう。<br />
周囲の方々は、ワットばかりに立ち上がり、ハンカチやら手短なナプキンやらで<br />
あわてて拭きにかかり、ご主人はタオルや雑巾をとりに走るでしょう。<br />
よそのおうちの食卓では、基本的には、ハンカチを出すことは失礼に当たります。<br />
しかも、当の本人は、すみませんと周囲にあやまりつづけ、事が収まっても、<br />
それ以前の和やかな雰囲気も損なわれ、楽しい会話がナンだったか？<br />
なんて状態になってしまうのが落ちです。<br />
こんな時こそ【寂】！<br />
粗相しても大丈夫な備えと、ことが起きたときに、周囲がことさらに取り立てて騒がないこと、<br />
それが、失敗した方への心遣いであり、人付き合いの極意なのです。</p>

<p>単純なマニュアルどおりに行かないのが、おもてなしや社交、エチケットやマナーズです。<br />
とっさの時こそ、その人柄・人格があらわになる時でもあります。<br />
言うなれば、良い社交術・エチケット・などというものは、<br />
全ては、本人の人柄にかかってくるということです。<br />
中味を磨くことをせず、形ばかりに気を取られた社交やエチケットで、<br />
心温まる交流や本当に豊かな時は得られないのです。<br />
気がついたときからが、自分の躾の始まりです。<br />
中味から自分を磨くことをして、皆様素敵な女性になりましょう！</blockquote></blockquote></p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000013.html</link>
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         <pubDate>Mon, 13 Nov 2006 13:15:00 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>『和敬清寂』その２</title>
         <description><![CDATA[<p>前回の続きです。</p>

<p>『清』<br />
<blockquote>読んで字の如し。<br />
「清らか」であることは、社交の場でとても大切なポイントです。<br />
私達はともすると、おもてなしの食卓やエチケットで、「美しい」「きれい」であることを<br />
目指しがちですが、この「清らか」であることこそ第一！！としたのが茶道です。<br />
“清浄なる水の文化”である日本人は、人との交わりを<strong>【一期一会】</strong>の覚悟で、<br />
常に一番清らかな状態で・・・と考えました。<br />
割り箸文化も、茶道の手さばきも全て、この「清らか」が基本の考えにあります。</p>

<p>この「清らか」・・・単に、見かけが清潔！心がきれい！・・・それだけではありません。<br />
<strong>身の外も内も清らかであることは大前提。</strong>その上でさらに、人との関係・社交は「清らか」であれ！と利休は言っています。<br />
利休の言う「清」の一字には<strong>「潔さ」</strong>という意味も含まれるのです。<br />
秀吉との確執の末、利休は腹を切りました。<br />
互いに譲れない一線があったのです。<br />
社交とは、人と交わるとは、ただベタベタと馴れ合って、いい加減な時間を割くのではなく、<br />
「一期一会」のつもりで行うもの。<br />
その人のため、真実の為ならば<strong>「筋を通す」</strong>ということでしょう。<br />
「筋を通す」のは、なまじの事ではありません。人の何倍もの気力と努力が必要です。<br />
しかもその結果は全て自分で背負う覚悟も必要です。<br />
西洋では、こうした心構えを『ノーブレス･オブリージュ』『プレイ･クリケット』という言葉で<br />
表現しています。<br />
「筋の通ったエチケット・マナー」・・・毅然とした態度は、小手先･見せ掛けを美しく見せる“立ち居振る舞い”より、ずっとずっと美しく感じられることでしょう。<br />
それには、自分自身がしっかり地に（知に）足がついて、自己が確立していなくては行けませんね！</blockquote></p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000012.html</link>
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         <pubDate>Mon, 23 Oct 2006 11:13:10 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>和敬清寂</title>
         <description><![CDATA[<p>『和敬清寂』とは・・・？</p>

<p>千利休が残した、茶道の心得に<strong>【四規七則】</strong>というものがあります。<br />
これは、お茶をたて人と向き合う【時】に、<br />
<strong>どうしたらお互い「気分良く！」「楽しく！」「優雅に！」「豊かに！」過ごせるか</strong>･･・という、<br />
いわゆるエチケット･マナーの全てを言い表したもの。</p>

<p>大前提となる四つの心構えが【四規】<br />
『和敬静寂』の四つの漢字で表します。<br />
そして、いわゆるマナーの基本が【七則】<br />
利休は、当たり前であって、なかなか奥の深い言葉で、この七つを表現しています。<br />
利休はすごい人ですね。<br />
いわゆる社交の極意を、たったこれだけの言葉で言いのけてしまったのですから。</p>

<p>これは洋の東西を問わず、まさにエチケット。マナーの真髄をついた言葉だと思っています。<br />
今回から、この【四規七則】のいっていることについて、少しずつお話しましょう。<br />
　　ＰＳ：管理人も、これで少しはブログが続くと、ほっとしていることでしょう！</p>

<p>まず【和】<br />
<blockquote>人付き合いでいちばんたいせつなことは、【和】<br />
平和であること。和やか（なごやか）であること。和気あいあいであること。<br />
これは当然のことです。<br />
が、人間付き合いは、気のあう人たちばかりとは限りません。<br />
どんな時、どんな人とでも・・・！という厳しい条件付の【和】です。<br />
しかも、これは、表面上ではいけません。<br />
心のそこから・・・！という、さらに厳しい条件がつきます。<br />
そのためには・・・<br />
まず、相手に好意を持つこと。そして<strong>“おおような心”</strong>を持つこと。<br />
受け入れられる世界の教養範囲が狭ければ、“誰に対しても好意を持つ”ことは難しくなります。<br />
自分の周りに、人を拒絶する高い塀やバリアを持たないことです。<br />
（これは無防備とは違いますよ！）<br />
まあ、常に緊張しすぎず、ゆるい状態でいる･･・それがいいのかも知れませんね。</blockquote></p>

<p>【敬】<br />
<blockquote>近頃の教育現場や子供のすさんだニュースを聞くにつけ、<br />
今の日本の育児にかけているのは、これではないかと思うことがあります。<br />
この【敬】とは、“人に対する敬意・・・”なんて、簡単なことを言ってているのではありません。<br />
<strong>自分に対する【敬意】</strong>・・・これこそ基本にあるべきです。<br />
自分に対する【敬意】のない人間に、他人に対する【敬意】は払えません。<br />
自分自身を大切に扱わない人間に、どうして他人を大切にできるでしょうか？<br />
最近、ＣＭで子供を抱きしめて！とか、愛して！といった言葉を耳にしますが、<br />
そんなことをいわれて、では愛しましょう･･なんて、できるわけがありません。<br />
愛は人にいわれて芽生えるものではありません。<br />
愛していれば、自然とそれなりの行為も出来るでしょう。<br />
愛と敬意はほぼ同じものと、私は思います。<br />
自分が尊敬に値する人間であろうとすれば、<br />
自分自身を大切にするでしょうし、愛するでしょう。<br />
自分がこの世でかけがえのない愛される存在と思えば、<br />
同じ存在である他人に対しても、やさしい心が芽生えるはず。<br />
人に大して、敬意を払った態度を！・・・と、わかった風なことを言う前に、<br />
まず、自分自身が、本当に尊敬できる人間かどうか考えて見ましょう。<br />
まだまだ･･･と思ったら、それに向けて努力する。<br />
立ち居振る舞いのその瞬間瞬間に、「これって、尊敬できるかしら？」と<br />
考えて御覧なさい。<br />
そうすれば、あなたの全ての言動は、おのずと『品性』あるものになるでしょう。<br />
それが、利休が言うところの【敬】の極意！</blockquote></p>

<p><br />
つづきは又次回！</p>

<p>　　　　</p>

<p><br />
</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000010.html</link>
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         <pubDate>Thu, 19 Oct 2006 12:21:30 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>エレガントなエチケット・マナー</title>
         <description><![CDATA[<p>ロザリウムに通う生徒達は、皆、<strong>エレガントな女性</strong>を目指したい！と、<strong>エレガントなエチケット・マナーを身に付けたい</strong>と思っているようです。<br />
エレガントな・・・って、どんなことでしょうか？<br />
多分漠然とした雰囲気で、“エレガント”と思っているのではないでしょうか？<br />
“エレガント”を定義付けて下さいというと、千差万別の答えが返ってくるでしょう。</p>

<p>日本人は世界一、感性が豊かですから、何事も感性で捉えることが出来ますが、<br />
西洋文化には何事にも数学的・理性的な理論があります。<br />
ですから、“エレガント”に対する答えも、きちんと出ているはず！</p>

<p>フランスが“エレガント”の大御所のように思うでしょうけれど、この言葉のルーツはフランス語ですし、<br />
そもそも今に通じる“エレガント”が確立されたのは、１９世紀“チュイルリー公園のベンチ”ですから<br />
そう思ってあたり前ですが・・・。<br />
しかし、世界に誇る“エレガント文化”は、この日本にもしっかり確立されていました。<br />
江戸時代、“粋”が命！！みたいな江戸っ子が、目指したもの。<br />
これこそ日本の“エレガント”。<br />
『いきすぎ』とは、物事が“粋”の範囲から出てしまうこと・・・だから『粋過ぎ』る・・・というわけです。<br />
“エレガント”とは、まさに『粋過ぎない』ことを言うのです。<br />
余談ですが・・・<br />
江戸の粋人は、仕立てたばかりの着物は、まず、寝巻きとしてきてから外に着ていったといいます。<br />
これは西洋でも同じ。<br />
英国貴族は、下ろしたての服や帽子は、まず、バトラーや運転手に身に付けさせてからきたといいますから。<br />
ですから、本物のバトラーはご主人様と同じ体型、運転手は同じ頭のサイズ・・・ということになります。</p>

<p>『粋過ぎない』エチケット・マナー・・・ってどんなものでしょう？<br />
私は、そんなものは、エチケットでもマナーでも無いと思っています。<br />
そもそも、“エレガント”とは、自分を良く見せるための【ワザ】です。<br />
私が、生徒達にいつもいっていることは、<br />
エチケット・ﾏﾅｰというものは、自分中心に考えるものではないということです。<br />
自分が美しく見えるとか、エレガントに見えるとか、いい人そうに見えるとか・・・<br />
これは、本来のエチケット・マナーに反する考え方です。<br />
エチケット・マナーとは、人との関係の中で、自分以外の人々が心地よくあるため、<br />
仲良くできる為にあるものです。<br />
私はエレガントで美しい！・・・では、周囲の方々はどうするの？私より美しくなく見えるでしょう？<br />
自分より、周囲を引き立て楽しい心地よい気持ちに出来てこそ、<br />
本当のエチケット・マナーができているといえるでしょう。<br />
エレガントであるとか、美しいとかは、その後に、周囲の人々が感じることであって、<br />
最初から、それを目指すことではありません。</p>

<p>エチケット・マナーは、全人格からあふれ出る行為です。<br />
いくらプロトコールを身に付けても、ふとしたときに、お里が知れるものです。<br />
ならば・・・<br />
中味を磨いて、人格の“美しさ”や“エレガントさ”を身に付けるしかないようですね！！</p>

<p><br />
</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000009.html</link>
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         <pubDate>Mon, 11 Sep 2006 14:31:11 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>パンセ！</title>
         <description><![CDATA[<p>ロザリウムでは、毎月一度、ｻﾛﾝ会員の皆様に【La Pansse】というコラムを発信しています。<br />
これには、国際人として必要な教養文化の話や、映画･世界の現在の話題についての世界からのものの見方、私から皆様へのメッセージを書いています。</p>

<p>日本という国は、古代からとても多文化･異民族から隔離された国です。<br />
文明開化でそれも解消されたと思っているあなた・・・それは、間違いです！<br />
解消されたのは、極々うわべだけのもの。<br />
いつだったかハーバード大学の教授が言った様に、<br />
“日本は、この地球上に一親等の親兄弟を持たない文化”です。<br />
それは、私が長年、日本独自のお茶の文化と、西洋文化のトップのクラスを実体験した中で、しみじみ感じることです。<br />
しかし、それは日本文化が、西洋文化やその他の文化より劣っているということではありません。<br />
むしろ、日本の『和をもって尊しとなす』というアイデンティティーは、この地球上、最も素晴しい理念だと思います。</p>

<p>大昔、西洋にキリスト教が広まり、ユダヤ民族が迫害され、ユダヤの民が理想卿を求めて東へ東へと逃げ延びていいたとき、彼らはこんなことを感じたといいます。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　「東に行けば行くほど、人々が寛容である」と。<br />
日本は、【極東】！　しかも『日いずる国』です。<br />
日本文化は、いつも、全てをおおらかに寛容に受け入れてやさしく昇華してきた文化だと思います。<br />
そんな日本の素晴しいアイデンティティーが、全世界に全人類に広がっていったら・・・！<br />
そのためには、まずは日本人も、国際社会で尊敬され、愛されるようにならなければ、<br />
どんなに素晴しいことを言っても行っても、認知はされません。<br />
国際社会とは、おのずと西洋社会です。<br />
ヘレニスム社会です。<br />
・・・ということは、極端に言うと、まずは、自分を○相手を×とするところから、物事が始まる文化です。<br />
だから、相手に尊敬をされなければ、何も始まらないのです。</p>

<p>私が教えているものは、その尊敬を得るための手立て・・・<br />
そして、国際社会の中で、楽しく楽に有利に人生を生き抜く為のポイントです。<br />
映画でも、西洋人は、実は日本人とは別のものをそこに見出しているのです。<br />
西洋人の中に、＜イーリアス＞＜オデッセイァ＞や＜アエネーイス＞などの下地があって初めて<br />
＜ハリー･ポッター＞や＜ロード･オブ･ザ･リング＞が大ヒットするのです。<br />
【パンセ】では、映画の話もたくさん書いていますよ。</p>

<p>『パンセ！』<br />
これはフランス人の先生が良く子供達に使う言葉です。<br />
『考えて！』<br />
自分の脳細胞で考える・・・これが大事です。<br />
その下地となる【知】は多いに越したことはありません。</p>

<p>　　　「知の獲得」<br />
これは人類の命題です。<br />
【パンセ】はその一助となるようにと思っています。<br />
このブログでも、少しづつ、【パンセ】のお話のダイジェスト版を書いていこうと思っています。</p>

<p>ブログ管理人から、回数が少なくてブログになってないとのお叱りがありました。<br />
全くその通り！<br />
これからは、まじめにPCに向かいましょう。</p>]]></description>
         <link>http://www.rosarium.org/blog/archives/000008.html</link>
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         <pubDate>Wed, 23 Aug 2006 12:45:07 +0900</pubDate>
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